往復書簡 まるこよし

まるこ⇄よっしー

丁寧な言葉で書くとどうなるかという実験をしています

親愛なるまるちゃんへ

 突然、お堅いはじまりで何だとお思いでしょうか。いいえ、特に理由はありません。進撃の巨人の見すぎで、ちょうど昨日ユミルからヒストリアへの手紙を読んでいたシーンがあったのですが、「親愛なるヒストリアへ」から始まっていました。「たしかに、親愛なる~~へ、ではじまることが多いな」と思ったので、倣ってみただけです。はじまりの文章が丁寧だと、それにつられて後の文章も丁寧になるような気がします。ちなみに、そのシーンを写真に撮りました。進撃の巨人で使われている文字は、上下反対にしたカタカナで書かれていると聞いたので、解読するべくその写真を撮ったというわけです。暇だろうとお思いでしょうか。その通りです。実際には少しぶれているので非常に解読しづらいし、なんならアニメの中でヒストリアが全文読み上げていました。解読するというよりも答え合わせがしたいだけです。

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こういうのは違法になるのだろうか(いまさら)

 9月から違うお仕事を始めたとのこと、とても楽しそうでわたしも嬉しいです。先日送ってくれたまるちゃんの成果物は、とっても読みやすくて気持ちが高まりました。読みやすい文章は、メールにしろプレゼン資料にしろ、ストレスが少なくてありがたいですね。(ここにきて、丁寧な言葉づかいで最後まで進めようと覚悟を決めました)まるちゃんの性格に合う業務がもっとたくさん増えますように。自分では思ってもみなかったところに才能がある場合があるらしいので、色々やってみたうえで楽しい仕事が見つかればいいなと心から思います。業務迷子になっているわたしが願うことでもあります。いまだにフィット感のある業務がなんなのか、はっきりしていない35歳でございます。

 あの喫煙所の近くには、たしかに亀がいました。雨の日も、小雨程度なら外に出されたままでしたが、亀自身はそれをどう思っていたんでしょうね。彼はその処遇に納得していたのでしょうか。いや、そんな不毛なことを考えるなんてまさしくアフロ田中。「納得感」というキーワードにに無理やりこじつけた結果、妙な妄想に走りました。近所の神田川には亀が集まるスポットがあって、晴れた日には亀が群れて甲羅干しをしています。それを眺める人間と、通り過ぎ去る人間がいますが、だいたい眺めているのは老人か子どもです。青年期~壮年期の人間は(あえて大人と呼ばないことにする)、慌ただしく生きているのだろうか、と思います。

 どうでしょう、丁寧な言葉をつかっていると、少し人間性まで変化するような感覚になります。使う言語の違いによって、多少人格が異なるというのと似ているのかもしれません。当時のまるちゃんに哲学科は両手を挙げておすすめできるとは言えませんが(生きづらい人にとって、哲学に含まれる毒気の引力の方が強くはたらきそうです)、今のまるちゃんだったら楽しく哲学ができそうです。

 そういうわたしは、特に哲学をした覚えはありませんが、それでもあの世界に引っ張りこまれて、最終的には「信号が青になるとなぜ渡って良いと言えるのだろうか…?」などと言い、道を自由に歩くのが難しくなりました。生活に支障が出る勉強はなかなか難しいと言わざるを得ません。ただ、いもさんに勧められた『勉強の哲学』では勉強をしている中で一瞬バカになるというフェーズがあると書いてありました。哲学は「考えることそのもの」「生きることそのもの」を扱うことが多いので、バカになった瞬間、生活全般に支障が出がちなのだと、この本を読んで妙に納得しましたよ。ちなみに社会学部だと多摩キャンパスですが、それはいいのでしょうか。

 最後に、弟さんの話を読んで。担任の先生の発言しかり、だれかとだれかを比べることは、あまりにもデメリットが大きすぎることを再確認しました。競争によって、能力が高まる側面もあるので、もちろんオリンピックなどにケチを付けようとは思いませんが、そのデメリットと比較すると、殊更に比較するのはやはりやめた方がよさそうです。身に染みて理解しているわれわれで、次世代に活かしましょう…。

 さて、、、書いている方としてはおもしろいこころみでした(笑) 読む側はどう思うのでしょうか(笑)