往復書簡 まるこよし

まるこ⇄よっしー

強くなりてー

よっしーへ


 タコスの写真、おいしそうすぎる!そして安すぎる。沖縄行ってみたいなあ、仕事で石垣島に行ったことはあるけれど、沖縄には行ったことないんだよね。真夏のビーチには縁がないけれど、それでも沖縄は楽しそう。沖縄で裁判傍聴したら一気にやりたいことを達成できるね。その土地ごとに裁判する内容も傾向があるのかな。なんにせよ、まずは都内で裁判傍聴だな。少し禍々しいよっしーの文章は、なんだか生き生きしてた気がする。エネルギーにあふれたよっしーを見るとほっとする。いつだかのよっしーはとにかく疲弊して辛そうだったから、見てて痛々しかったんだ。そう考えると、わたしたちほんとに成長したよね。友達って、それぞれが結婚していようが彼氏がいようがそんなこと関係なくて、お互いに成長し続けてたらそれだけでずっと友達でいられるものだと思う。まさにわたしとよっしーはそれを体現してると自負してる。おばあちゃんになっても友達でいようね、なんて重たい文面から始まる往復書簡、六周目です。

 ちょっと前の映像とか写真とかを見ると、「うわあ、今では考えられないくらい密だなあ」と思うことがあるよね。確かにカラオケの狭い個室でマスクもせずに歌いながら踊るわたしたち三人の動画は密だった。コロナが明けてからの生活は、きっとコロナ渦の前の生活とはまた少し違うんだろうと思う。電車の窓はいつでも少し開いてるだろうし、屋外にいる時にはなるべく他人とのソーシャルディスタンスを保ちたくなるだろうなとか。でもまた何十年も経って、コロナを知らない世代がほとんどになってきたら、そういうのは風化するのかな。そんな時代には孫に向かって「〇〇ちゃん、なるべく密を避けてソーシャルディスタンスを保ちなさいね」とか言って、「やだおばあちゃん、いつの時代の話してるの」とか言われるのかな。もういっそ、そんな時代が早く来ればいいのに。まるこおばあちゃんはコロナ渦に疲れてしまったよ。井本さんに会いたい。確かに井本さんって日本式モラハラ親父とはかけ離れた存在だよね。井本さんが自分のお父さんだったら何も恥ずかしがらずに「お父さん大好き」って言えただろうし、好きなものを二人で共有しまくったり、友達とかに自慢しまくったりしそうだ。悲しいことにわたしの父はほとんど典型的な日本式モラハラ親父なので、そういうことはできなかったよ。市ヶ谷のHUBで三人で過ごしたあの頃は宝物です、なんつって。

 「普通かどうか」で善悪をジャッジする人は、自分軸ではなくて他人軸で物事を考えちゃってる人なんだと思う。自分の感情とか価値観に自信がないから、どうしても無意識に他人軸になっちゃう。彼女の場合は毒親のお母さんに長年自分軸を押し殺され続けて、「お母さん軸」に支配されてきたせいで、他人軸が当たり前のことになってるのかもしれないよね。これはわたしにとっては全く他人事ではなくて、なぜならわたしもそうだったから・・・。よっしーの言う通り、自分がどう思ったかということが最重要事項であることは間違いないと思う。彼女が早くそれに気づいてDIVAに戻れることを祈るよ。しかし、マウンティング対策のロープレと聞いて笑ってしまった、笑っちゃいけないね。正しい対処法は「自分が怒ったり不快だと思ったりしたということを即座に相手にきちんと伝える」だと思うんだけど、それが難しいからロープレとかしたくなってしまうわけで。マウンティングを対処する前段階として「自分の感じたことに疑いを持たない」ことが大事な気がする。マウンティングされた時になんとなくモヤッとしても、「あれ?なんかモヤッとしてるけど、わたし今なんでモヤッとしてるんだろう?むしろモヤッとせずに笑っておいた方が場は保たれるのでは?まあいいか」と瞬時に思ってしまって、なあなあにその場をやり過ごしたことが、何度あったことか。そうでなくて、「はあ?何言ってんの?」と瞬時に言える勇気。勇気というか、もうほとんど脊髄反射のようにそう言えたら、強いよね。そうなりたいものだ。強くなりたい。強くなりたいぞー!!冬のボーナスが出たらパーソナルジムに通うんだ、と先日した話をまたしてしまう。この気持ちに偽りはないということだよ、ほんとに強くなりたいんだもん。


強くなりたいと言う割に質素な平日の在宅勤務のお昼ごはんを添えて、まるこより

(海苔卵かけご飯、かぼちゃの煮物と液体味噌で簡易お味噌汁)

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